服部健三
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服部貞の二男として大阪に生まれる。東京帝国大学医科薬学科出身。丹波敬三の下で衛生裁判化学を研究し、第一次世界大戦中の薬品欠乏の危機に際しては優良薬品製造に寄与した。戦後、留学先のアメリカのハーバード大学からフランクフルトのコロイド化学研究所に留学し、所長ベッヒホルドHeinrich J. Bechhold(1866―1937)に師事し最先端のコロイド化学を学んだ。東京帝大助教授を経て、1924年衛生裁判化学講座担当教授となり、酵素・コロイド化学の新分野を導入。[1]赤血球が各種溶血試薬により異なる反応機序を解明、海外学説を覆す新知見を発表。また独創的方法により海外学者間で論争中の乳脂球の皮膜の本体を発見、ハプテンと命名した。脂溶性ビタミン、コレステロール研究、火災時発生ガスの毒性調査ほか先見的研究が多数ある。日本衛生学会を創立し、のちに会長となった。日本薬学会会頭、中央衛生会委員、文部省視学委員、薬剤師試験委員、日本薬局方調査委員などを歴任[2] 。[1]