服部康雄
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藤枝市立藤枝中学校3年次の全国中学校サッカー大会で準優勝。高校は地元の静岡県立藤枝東高等学校へ進学。1年次からレギュラーの座を掴み、1972年度、1973年度の全国高等学校サッカー選手権大会では中村一義らと共に2年連続準優勝に貢献した[1]。
大学は東京教育大学(筑波大学の前身)に進学したが腰の怪我のためトップレベルでのプレーを断念[1]。卒業後に教員となり、1980年に静岡県立湖西高等学校に赴任。1984年からは静岡県立庵原高等学校へ赴任。また、静岡県教員サッカー団芙蓉クラブでもプレーを続けた。1995年から母校の藤枝東高に赴任した。
1997年に同校を12年ぶりの高校選手権出場に導きベスト4進出。2000年高校総体準優勝、2007年高校選手権準優勝などに導いた[1][2]。2008年3月に、静岡県教育委員会スポーツ振興室主席に就任するため同高を勇退した。
高校時代の恩師、長池実の指導法に大きな影響を受けているという[1]。藤枝東高校監督時代には長谷部誠、成岡翔、岡田隆、大井健太郎、山田大記、村松大輔、河井陽介、藤田息吹らを日本プロサッカーリーグへと送り出している。