ホンダに入社する前は、岡村製作所で「ミカサ」のセミATの設計を担当。1964年暮れ、軽トラックT360の油圧式CVTの開発が上手くいかないストレスから、体調を崩して入院していたベッドの上でホンダマチックの開発を担当することになった。
見舞いにやってきた当時の技術研究所所長・杉浦英夫は服部の見舞いもそこそこに、いきなり「4輪の自動変速機を開発したい」と話をもちかけたという。しかし、元来、4輪のATがやりたくてホンダにやってきた服部にとって、これはなにより嬉しい知らせであり、服部は退院を待たずにベッドの上でATの構想を開始した。