服部鉦太郎
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1910年(明治43年)、愛知県名古屋市中区呉服町2丁目(現・丸の内3丁目)に生まれた[1]。
16歳だった1926年(大正15年)に名古屋市職員となり、1942年(昭和17年)まで15年間に渡って市立名古屋図書館に勤務した[2]。この間の1938年(昭和13年)には中京法律専門学校を卒業した[1]。戦後には名古屋市役所で人事課教養係長、社会教育課文化係長を務め[2]、1960年(昭和35年)には新たに開館した名古屋市熱田図書館の初代館長に就任した[1]。
熱田図書館長時代の1962年(昭和37年)に司書資格を取得し[1]、1963年(昭和38年)には名古屋市郷土文化会の理事に就任した[2]。1965年(昭和40年)に名古屋市役所を定年退職し[1]、1968年(昭和43年)まで名古屋城振興協会、1976年(昭和51年)まで名古屋市文化財調査員として勤務した[2]。代表的な著作として『明治の名古屋 世相編年事典』(1968年)があるが、写真や図版を多用した点で当時としては画期的な郷土資料だったとされる[2]。1976年(昭和51年)には名古屋市文化財調査員を退職した[3]。
1998年(平成10年)1月11日に死去した[4]。