望月太左衛門
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2代目
3代目
4代目
5代目
6代目
7代目
(文久2年3月16日(1862年4月14日)[1] - 昭和13年(1938年)5月19日)本名は安倍清三久。
陸奥国仙台柳町(現在の宮城県)の生まれ、仙台で活躍していた囃子方の堅田喜三久の長男。明治6年(1873年)に上京し、3代目望月長九郎の門下となり、明治12年(1879年)に新富座、明治16年(1883年)に中村座立太鼓、明治19年(1886年)に千歳座に出て立小鼓に昇進を果たす。明治31年(1898年)に4代目長九郎を襲名。明治38年(1905年)には7代目太左衛門を襲名。翌年には明治39年(1906年)に2代目寶山左衛門が先代を飛ばして「6代目」太左衛門として襲名し同時代2人の太左衛門が存在するという珍しいことが起きる。明治44年(1911年)には帝国劇場の専属囃子。大正9年(1920年)に長男の2代目望月長左久に8代目太左衛門を譲り自ら引退し3代目朴清を襲名した。主な作曲には「連獅子」「菖蒲浴衣」「岸の柳」など。長男が9代目太左衛門、次男が3代目堅田喜惣治、四男が10代目太左衛門、長女が5代目藤舎呂船、長女の夫が4代目呂船、次女が望月初子等他、孫に11代目太左衛門(後の4代目朴清)、3代目堅田喜三久。