朝倉将景 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代中期生誕 不明死没 長禄3年8月11日(1459年9月7日)別名 鳥羽将景、弾正左衛門 凡例朝倉将景時代 室町時代中期生誕 不明死没 長禄3年8月11日(1459年9月7日)別名 鳥羽将景、弾正左衛門戒名 先照郎用/光照郎用官位 豊後守主君 朝倉家景氏族 朝倉氏父母 父:朝倉教景兄弟 家景、将景子 景正、円渓眞成大姉(朝倉孝景正室)テンプレートを表示 朝倉 将景(あさくら ゆきかげ/まさかげ)は、室町時代中期の武将。越前国鳥羽[1]に領地があったと考えられ、姓を「鳥羽」とすることもある。 朝倉氏5代当主・朝倉教景の子として誕生。斯波義将から偏諱を受けているため、応永17年(1410年)以前の生まれと思われる。 7代当主となった甥の孝景とは反目し、長禄2年(1458年)に始まった守護斯波義敏[2]と守護代・甲斐常治との合戦(長禄合戦)では、守護側に与して孝景と対立した。翌長禄3年(1459年)8月11日、越前足羽郡和田荘の合戦で堀江利真と共に孝景らに討ち取られた。子・景正も和田での合戦で討ち取られたが、将景の曾孫である朝倉景富[3]が鳥羽家を継いでいる。 娘は孝景に嫁いでおり、孝景とは義理の親子関係にある。彼女との間に氏景が生まれた。 脚注 ↑ 福井県鯖江市鳥羽。 ↑ 斯波義将の弟・義種の曾孫。 ↑ 孝景の弟景冬の婿。 Related Articles