朝倉希一
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1883年、東京府荏原郡馬込町に旧薩摩藩士で、東京府士族・朝倉本生の長男として生まれる[1]。父は維新後警視庁に入り、鍛治橋監獄(後の市谷刑務所)の副典獄[2]や東京博善監査役[3]などを務めた。
1910年に海外留学。1912年12月に帰国し、鉄道院運輸部工作課長 島安次郎の構想に基づき製造したのが9600形蒸気機関車であった。1919年、ヨーロッパ出張。その後、朝倉が設計主任となってC51形蒸気機関車を設計した。
1922年、工学博士を取得。1924年、鉄道省工作局車両課員。1933年、鉄道省工作局長就任。1936年、鉄道省を退官。
1949年、神奈川大学教授に就任。1957年、十河信二日本国有鉄道(国鉄)総裁、島秀雄国鉄技師長と共に東海道幹線調査会委員に就任。
日本機械学会会長、衛生工業協会会長、日本鉄道技術協会会長、日本ボイラ協会会長等を歴任。
1978年4月20日死去。享年95。