朝比奈宗源
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静岡県清水市(現在の静岡市清水区[3])出身。鎌倉・円覚寺住職。臨済宗円覚寺派管長。
32歳の時に日本大学宗教専門部(現存しない)卒[4]。京都妙心寺、鎌倉円覚寺で修行。1934年~1942年まで横濱専門学校(現神奈川大学)で倫理学講師を担当、高歯の下駄で鎌倉から通った。その後、駒澤大学教授。
1942年、円覚寺住職。1945年、円覚寺派管長。大戦中は中国や南方で従軍布教をした。
1963年、賀川豊彦、尾崎行雄らとともに[要検証]、世界連邦運動推進のため「世界連邦日本仏教徒協議会」(世連仏)を結成し、会長となった。
1967年、「世界連邦日本宗教委員会」を結成した[5][注 1]。
1973年、朝比奈と富岡八幡宮宮司の富岡盛彦は伊勢神宮の宿舎で同宿した際、「保守系の宗教団体が集結し愛国運動を起こす」という着想を得た。明治神宮宮司の伊達巽から、協力についての快諾の回答が得られたあと、朝比奈と富岡は初めに、渋谷区神宮前にあった生長の家本部を訪ねた。総裁の谷口雅春は「協力を惜しまないどころか、生長の家の活動そのものの目指すところはそこにある」と述べ、団体設立に向けた動きが具体化[7][8]。1974年4月に民間団体「日本を守る会」が設立され[7]、朝比奈は谷口らとともに代表委員に名を連ねた[1]。
1979年2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された[2][9][10][11]。呼びかけ人は朝比奈、木内信胤、宇野精一、郷司浩平、宝井馬琴、三輪知雄の6人[2]。
同年8月25日、死去。88歳没。日本を守る会は1997年5月30日に日本を守る国民会議と合併し、「日本会議」に改組された。
