朝比奈逸人
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生い立ち
神奈川県川崎市生まれ[1]。兄の朝比奈尚行は、長じて俳優、演出家となった[3][4]。
青年期の多様な活動
1971年に公開された森谷司郎監督の映画『潮騒』で、オーディションによって主役の久保新治役を得て、俳優として映画デビューし[3][5]、翌1972年に公開された渡辺邦彦監督の映画『白鳥の歌なんか聞えない』では、主人公・薫の友人、横田を演じた[6]。
その後、渡米し、帰国後、吉祥寺のぐゎらん堂などでブルースやオリジナル曲の演奏をするようになった[4]。当時の朝比奈は、オリジナル曲として「おさと」、「なまけもの」、「ライ・ウィスキー」、「トンネルの唄」などを演奏していたが、特に「トンネルの唄」は高田渡が取り上げ、後に長く歌い継がれることになった[4]。朝比奈は大阪市で福岡風太らが開催していた春一番のライブにも出演し、1975年に演奏した「ライ・ウィスキー」、1976年の「もう終わりさ」は音源が残っている[7]。このほか、1976年のアルバム『1974 HOBO'S CONCERTS II』に収録された「雨」、「直ちゃん」[8]、1975年のアルバム『jam(ジャム第10回コンサートjam・峠ライブ)』に収録された「峠」、「月よう日のブルース」[9]が、いずれもライブ音源として残されている。
しかし、1980年代に入り、本格的に画家としての活動に注力するようになると、朝比奈は音楽活動から身を引いた[4]。
画家として
朝比奈は、1978年に東京藝術大学大学院美術研究科修士課程を修了した[1]。
1980年に大阪教育大学の美術科の教員となり、ニュー・ペインティングの流れを組む作家として[10]、1980年代以降に本格的に制作活動を展開し、楕円など変形の画面に描くことが特徴のひとつであった[1][11]。
朝比奈はもともと銅版画を学んでおり[11]、大阪教育大学では、版画専攻の学生の指導にも当たっていた[12]。
長く大阪府池田市に居住し、大阪教育大学では助教授から[1]、後に教授に昇任したが、定年を待たずに自主退職した[10]。
晩年は活動を休止し、長く闘病したとされる。
脚注
- 1 2 3 4 5 T.M.「朝比奈逸人」独立行政法人 国立美術館。2026年1月2日閲覧。
- ↑ 松井文「数日前に朝比奈逸人さんが亡くなられたらしい。...」松井文、2024年11月20日。2026年1月2日閲覧。
- 1 2 指田文夫「ピンボケ上映で金を取るな! 角川有楽町シネマ」『大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」』指田文夫、2011年6月4日。2026年1月2日閲覧。
- 1 2 3 4 ジミー矢島「僕の吉祥寺話 36」ペンギンハウス、2016年10月9日。2026年1月2日閲覧。
- ↑ 潮騒(1971) - 映画.com
- ↑ 白鳥の歌なんか聞えない - 映画.com
- ↑ Various – 春一番 ライブ '75/'76 - Discogs
- ↑ 1974 Hobo's Concerts II "大きな青空が胸に" - Discogs (発売一覧)
- ↑ Various – ジャム第10回コンサートjam・峠ライブ - Discogs (発売一覧)
- 1 2 那賀貞彦「美術の研究とはなにか--『美術科研究』の20年をふりかえって」『美術科研究』第20号、2002年、1-6頁、CRID 1520572358888636672。
- 1 2 「朝比奈 逸人」『ART360』公益財団法人 西枝財団。2026年1月2日閲覧。
- ↑ 朝比奈逸人「各大学版画研究室 大阪教育大学」『大学版画研究会会報』(PDF)、第8号、大学版画研究会、1981年8月、4頁。2026年1月2日閲覧。
外部リンク
- 朝比奈逸人「「自由卒制」について」『美術科研究 エディトリアル』第6号、大阪教育大学、1985年9月1日、23-24頁、CRID 1050586510461838464。
- 岡田武「朝比奈逸人という作品(1)」『livedoor Blog(ライブドア ブログ)絵画』岡田武、2011年9月3日。2026年1月2日閲覧。
- 岡田武「朝比奈逸人という作品(2)」『livedoor Blog(ライブドア ブログ)絵画』岡田武、2011年9月3日。2026年1月2日閲覧。