木幡山森之助
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木幡山 森之助(きばたやま もりのすけ)は、江戸時代の大相撲の第80代大関。番付上は「奥州」頭書[1]。
『日本相撲史』によれば、江戸相撲に入る以前は「荒浜」の名で大坂相撲に在籍していたという[2]。寛政10年(1798年)冬場所(10月)、東大関として初土俵を踏んだ。看板大関としての登場であったが、千秋楽以外全て出場して、7勝2敗1休の好成績を修め、その場所の黒星は雷電爲右エ門と柏戸宗五郎 (大関)からのものであった。それにもかかわらず、看板大関であったため、翌寛政11年(1799年)春場所(2月)は東前頭4枚目まで下げられた。その場所も4勝2敗1預の勝ち越し(雨天続きのため7日間で打ち切り)としたが、それを最後に僅か2場所で引退した。
大関在位は看板大関としての1場所のみであり、陥落後も含めても現役在位は2場所のみであったが、好成績であったためか、富岡八幡宮の大関力士碑に刻名されている。