竹部さゆり
日本の将棋棋士
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棋歴
- 小学校3年の時に将棋道場に通い始めた[3]。
- 1993年、中学生名人戦でベスト8に入り[要出典]、同年10月に奨励会に6級で入会した[2]。同年の夏頃に、女流の碓井涼子、矢内理絵子も奨励会に入会しており、「奨励会3人娘」と呼ばれていた[4]。元奨励会員の天野貴元によれば、竹部は奨励会員としては珍しく奇襲戦法を多く採用していた[5]。
- 奨励会在籍中の1995年4月に女流育成会に入会した後、同年10月に女流2級としてプロデビュー[2]。タイトル挑戦するなど1年半で女流二段にまで昇段した[2]。
- 1996年の第4期倉敷藤花戦で清水市代に挑戦したが、0-2で敗退[6][7]。
- 奨励会では最高クラスは4級まで昇級したが、1998年3月に6級に降級したのち[8]同年5月に降級点Bを喫し奨励会を退会した[9]。
- 2001年に結婚し、女流棋士としての活動名を「木村さゆり」から「竹部さゆり」に変更。
- 2002年の第7回鹿島杯で決勝三番勝負に進出したが、石橋幸緒に1-2で敗退[10]。
- 2007年3月12日から2008年3月31日まで休場した[11]。
- 2022年7月18日の第16期マイナビ女子オープン予選で野原未蘭を相手に、公式棋戦・女流棋戦において史上初となる「入玉宣言法」による敗戦を喫した[12]。野原が「宣言」を行い、連盟職員による確認を経て宣言通り野原の勝利となった(先手・野原の213手目「▲宣言」まで)[12]。その2日後にABEMAの将棋中継に出演した竹部は、当日の状況・心境について「500手まで指せば(持将棋に持って)行けるかもしれないと思って粘っていた」と語った[13]。
- 2023年3月11日にコンピュータ将棋協会の理事に就任した[14]。
棋風
居飛車党。力戦形を好み、スキあらば襲い掛かるタイプである[15]。
人物
イベントなどでの聞き手としての人気が高く[16]、 マイペースで独自の世界観を築いていると評されている[17]。
一方で、公開対局やSNSなどでの不適切な発言がたびたび問題視されている[18]。 2025年8月16日将棋日本シリーズJTプロ公式戦の2回戦第2局の大盤解説の聞き手を担当した際、対局者の公開されていないプライベート情報に言及した。その後自身のXにおいて発言を謝罪し、当面一年間の対局以外の公務の自粛を発表した[19]。
しかし、2026年3月8日に行われる野田市制施行75周年記念将棋イベント「将棋まつり」に出演することを了承した。また、第51期棋王戦第四局(同年同月15日)の現地大盤解説会に聞き手として出演する旨を発表。さらに、ABEMAの現地中継にも登場し、自身で課した1年間の自粛を守ることはせず、半年ほどで終わらせた。
昇級・昇段履歴
- 奨励会員として
- 女流棋士として
- 1995年4月 - 女流育成会入会(奨励会 在籍中)[2][9]
- 1995年10月1日 - 女流2級(女流棋士としてプロ入り = 奨励会と重籍)[2]
- 1996年4月1日 - 女流1級(第7期女流王位戦 挑決リーグ入り)[2]
- 1996年10月19日 - 女流初段(第4期倉敷藤花戦 ベスト4〈タイトル挑戦決定〉)[2]
- 1997年4月1日 - 女流二段(第4期倉敷藤花戦 タイトル挑戦)[2]
(1998年5月 - 奨励会 退会)[9] - 2003年5月20日 - 女流三段(勝数規定/女流二段昇段後90勝)[20][2]
- 2019年1月16日 - 女流四段(勝数規定/女流三段昇段後120勝)[21]