江戸時代、江戸幕府に公認されていた棋士は将棋家元三家に限られ、在野の将棋指し(棋客)は真剣師と呼ばれる賭け将棋指しで生計を立てていた[2]。将棋家元三家は幕府の消滅とともに職を失ったが、わずかに伊藤家の弟子だった関根金次郎十三世名人が将棋界を再興し、近代将棋を開いたため、家元伊藤家の流れを汲む関根一門が現代の将棋棋士の一大勢力となっている。一時期、この系統の高柳敏夫が弟子育成に尽力し、「高柳一門」は中原誠や田中寅彦・清水市代を擁し関根一門の中でも一大勢力であった。また、高柳と別系統の羽生善治・藤井聡太もいずれも師匠筋は関根一門である。
関根一門と同時期に活躍し、関根一派として千葉県で活動した川井房郷がおり、この系統からは棋士の育成に優れ「名伯楽」といわれた佐瀬勇次が出て、米長邦雄・丸山忠久らを育てた。女流の永世名人(クイーン名人)の中井広恵もこの系統である。佐瀬の名を冠して「佐瀬一門」と呼ぶことが多い。高柳・佐瀬の2つの一門だけが奨励会員の殆どを占めたことさえあるという[4]。
関西には関根のライバルであった坂田三吉がおり、関根に対抗して地元の有力者たちに推戴され「関西名人」を称していた。この坂田のグループが関西棋界をリードし、「関西将棋」と呼ばれた。坂田と同時期に関西で活躍した木見金治郎も升田幸三・大山康晴を育て、現在では坂田・木見をあわせて関西将棋と呼称することが多い。関西将棋からは内藤國雄や谷川浩司、糸谷哲郎が出ている[5]。現代の棋士の系統は、関根・佐瀬・関西の系統を引く人が多い。
「棋士系統図」と称される図は古くから存在し、ウェブ上で確認できるものとして古いものでは戦前のもので、「将棋相談」(1934年〈昭和9年〉8月、千倉書房発行)[6]、戦後のものでは「将棋評論 2月号」(1949年2月、将棋研究社発行)[7]や、「富士 第三巻第十四号」(1950年12月発行)[8]に掲載されている図がある。日本将棋連盟ウェブサイトでは「棋士系統図」の項目を2018年1月の時点でサイトメニューに設置していることが確認できる[9]。