木村五郎

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木村 五郎(きむら ごろう、1899年5月5日 - 1935年8月1日)は、日本彫刻家[1][2][3]。もっぱら木彫の小品に取り組んだ[1]。短い生涯を通して、150点余りの作品を残し、動物や子供の姿などを捉えた作風から「童心の彫刻家」とも呼ばれる[2]

木村は、日本各地の風俗を捉えた木彫作品を数多く制作する傍ら、農民美術運動に加わり、各地の人々に木彫の技法を伝授した[2]。木村の作品は、土産物同然としてまともに評価しない向きもあったが、高村光太郎石井鶴三などには認められていた[2]

東京府東京市神田区で、洋服商を営む鈴木家に生まれたが、建具職人の木村家の養子となる[2]1915年徒弟学校を卒業し山本端雲に師事、さらに石井鶴三の指導を受けた[1]

1919年、石井の推薦を得て、日本美術院研究会員となり、1920年には「簸の川上の素盞雄尊」外1点が院展に初入選した[1]。日本美術院での活動と並行して、山本鼎が提唱した「農民美術運動」に賛同し、1925年手工芸協会の結成に参加する一方[2]、日本美術院においては、1926年には院友、1927年9月に同人となった[1]。この間、1925年市川房枝に彫刻のモデルとなることを依頼し、作品自体は完成しなかったものの、以降、市川と交流し、1929年から1934年まで、市川ら婦選獲得同盟の機関誌『婦選』に表紙デザインなどを無償で提供した[2]

1927年以降は、日本農民美術研究所嘱託としてとして木彫の指導にあたるため[2][3]京都府宇治町(後の宇治市)、長野県川路村(後の飯田市)、秋田県大湯町(後の鹿角市)など全国各地に赴いた[2]。特に、伊豆大島には1927年以降頻繁に訪れ、1929年には木彫講習会を開催して島民たちに「あんこ人形」作りの技法を伝え、また島民の姿を捉えた作品を制作した[2]。木村が島民の姿を描いたスケッチが、絵葉書として発売されたこともあった[2]。木村は、木彫の技法についての著書の中で、原型を用いて同様の木彫を複数製作する方法について詳述した[4]

没後には遺作展が開催され、日本美術院から『木村五郎作品集』が刊行されたが、その表題は石井が揮毫し、序文は喜多武四郎、後書きは平櫛田中により、年表の作成は宮本重良が手がけた[2]

主な関連書籍

著書

作品集など

脚注

参考文献

関連文献

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