末岡圀孝
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広島一中時代は、センターフォワード(CF)だった。早稲田大学理工学部に進学してア式蹴球部に所属、高橋英辰らが同期[3]であり、1938年の全日本蹴球選手権大會(第18回天皇杯全日本サッカー選手権大会)で優勝メンバーに名を連ねている。また、1940年4月の全日本蹴球選手権大會(第20回天皇杯全日本サッカー選手権大会)では早大WMWのメンバーとして大会準優勝に貢献した。
また、大学在学中の1939年8月27日には関東州代表戦でサッカー日本代表として初出場[4]。また、同年9月の日満華交歓競技大会および1940年6月の紀元二千六百年奉祝東亜競技大会に出場し、国際Aマッチ1試合を含む合計4試合に出場した。中華民国代表戦で1ゴール(PK)がある[5]。
その後石川島播磨重工業に勤めたが、サッカーをどの程度続けたかは不明。
所属クラブ
- 広島県立広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)
- 早稲田大学/早大WMW
- 石川島播磨重工業(サッカーを続けたかは不明)