本多忠奝
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| 時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
|---|---|
| 生誕 | 宝暦5年9月11日(1755年10月16日) |
| 死没 | 享和3年1月22日(1803年2月13日) |
| 改名 | 駒之助(幼名)、忠奝、沢山・暮山(法号) |
| 戒名 | 源徳院忠誉信岳義哲 |
| 墓所 | 東京都江東区白河の霊巌寺 |
| 官位 | 従五位下、伊予守 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 徳川家治→家斉 |
| 藩 | 伊勢国神戸藩主 |
| 氏族 | 本多氏 |
| 父母 | 父:本多忠永、養父:本多忠興 |
| 兄弟 |
忠賢、忠奝、内藤正識、忠尹、知一、忠憲、 忠建 |
| 妻 |
正室:酒井忠恭の娘 継室:土井利里の養女(土井利剛の娘) |
| 子 | 実子:なし、養子:忠升 |
本多 忠奝(ほんだ ただひろ)は、伊勢神戸藩の第4代藩主。神戸藩本多家5代。
宝暦5年(1755年)9月11日、第2代藩主本多忠永の次男として生まれる。明和3年(1766年)に従兄で第3代藩主の忠興が死去した際、その養子として家督を継いだ。江戸城の門番を歴任し、日光祭祀奉行代にも任じられた。