本居大平
From Wikipedia, the free encyclopedia
業績
宣長の没後、その期待に応えるべく、大平は鈴屋の経営に勤しんだ[2]。既に門弟が500人に達しようとする勢いの鈴屋は、全国的規模の私塾であり、大平が塾頭になってからは、さらに勢力を拡大した[2]。
大平は宣長の祖述につとめた。古道学について大平は、『古学要』において「記紀をはじめとする古典籍の研究」と定義した上で、「古の意」を得てその文意を正しく解釈するために「漢意」を排斥することが肝要であるとした[3]。その具体例に大平は、仏教の弊害として「仏を神よりも尊いものとして天皇を軽んじたこと」「死を悲哀と考えないため葬儀を軽んじたこと」などを挙げ、儒教の弊害として「中央から国司を派遣したこと」「宣命や詔詞を駄目にしたこと」などを批判している[4]。これは宣長の漢意排斥の延長線上に位置するものである[5]。
また歌学においても大平は宣長の祖述につとめた。宣長は和歌の詠む上で「古風」と「後世風」に分けており、大平もこれを継承したが、期せずして村田春海と歌論の論争になったこともある[6]。
作品
著作
- 『古学要』
- 『玉鉾百首解』
- 『神楽歌新釈』
- 『八十浦之玉』
歌集
- 『稲葉集』