本居豊穎
日本の国学者
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
父は本居内遠、母は藤子。紀州和歌山に生まれる。父が亡くなった後は、母の教導を得て家学を修め、紀州藩が江戸に設置した藩校古学館の教授となる。
明治維新後はその家系を重んぜられて、神祇官に出仕した。教部省において神道大教正に進んだほか、国学者として東京帝国大学・國學院・東京女子高等師範学校などに講師として招かれた[3]。大正天皇の皇太子時代には東宮侍講を勤め[3]、御歌所寄人・1906年には帝国学士院会員ともなる。また国学・和歌の興隆を願って大八洲学会を主宰した。明治24年(1891年)に三条実美が死去した際に葬儀斎主を務めた[4]。明治42年(1909年)、業績により文学博士号を授与される。大正2年(1913年)2月15日に脳溢血のため死去[5]。