本村隧道
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明治維新により時代は江戸から東京へ変遷し、文明開化が叫ばれていた世の中において、1886年(明治19年)に発生したコレラの大流行によって浄水を鉄管でポンプ圧送する近代水道の整備が急務となり、豊多摩郡淀橋町に浄水場が建設されることとなった[3][4]。
しかしながら、武蔵野台地の尾根線を巧みに引き回して自然の力を利用して流下させていた[5]玉川上水を水源として利用するには、高台に位置していた淀橋町までは既存水路からの導水は不可能であることが判明したため[4]、代田村に和田堀給水所を設けて淀橋浄水場まで導水する玉川上水新水路が建設されることとなった[6]。その玉川上水新水路は地形にかかわらず両区間を直線的に結び[4]、起伏が無いよう土地の低い場所では淀橋浄水場建設で発生した残土を利用した[要出典]築堤により水路を通したため[6][7]、南北に分断されることとなった旧・幡ヶ谷村の住民の移動を可能にするために設けられた道路施設である16本の橋と、笹塚隧道や本町隧道とともに建設された3か所のトンネルのうちの1か所である[8]。
