本郷城
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概要
場所
國枝氏
美濃國枝氏の系統については諸説あり判然としないが、守護土岐氏、守護代斉藤氏との縁故も深く文明年間には相当の実力を蓄えていたようであり、明応4年(1495年)6月に小守護代石丸利光が土岐成頼の子・元頼を擁立して、船田合戦を起こすと國枝為助が石丸方の副将として一軍を率いている。
しかし中野の戦いで敗北、為助ら國枝一族は全員討死にを遂げ、最終的に石丸方も敗北したため一時没落した。その後勢力を回復して戦国末期まで有力土豪として本郷城にてその地位を保った。その後、龍安寺の再興と保護、領地の整備、市場の奨励などと地域振興に尽力した。
関ヶ原の戦い
慶長5年(1600年)8月、本郷城主であった国枝政森は関ヶ原の戦いで織田秀信に属して西軍にくみし敗れて本郷城を焼き払われる。これによって領主としての美濃國枝氏は滅亡したが、明治維新以降も國枝氏は美濃池田郡本郷に残る[3][4]。
