朱慈炫
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概要
宗教
南明の永暦帝の第3子で、生母は孝剛匡皇后王氏。洗礼名はコンスタンティネ(Constantine)。この名前はローマ帝国のコンスタンティヌス帝と同じ名前であり、父の永暦帝はその洗礼を通じて、カトリックをローマ帝国のような国教に変え始めることができることを望んでいた。永暦5年(1651年)、皇太子としての地位を保ち、中国の歴史においてキリスト教に改宗した初の皇太子となった。
生涯
2人の兄が相次いで消息不明になったため[1]、永暦5年(1651年)に皇太子となった。
永暦16年(1662年)に、匿われたビルマ王ピエ・ミンの裏切りで、清に降った呉三桂によって、父母と兄弟とともに引き渡された。そのとき皇太子の朱慈炫は呉三桂に向かって「逆臣めが、わが明を討ち負かして、われら父子をどうするつもりだ?」と罵ったという。しかし、呉三桂は意に介さずに、夏4月に永暦帝父子を昆明で縊り殺したとも、火刑に処したともいわれる。朱慈炫の享年は15であった。