朱権
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1391年に父から寧王に封じられる。1393年に封国の大寧に任命された。朱元璋没後、建文帝のもとで藩王削減政策が行なわれると、朱権は8万の兵力を保持していたことから警戒された。このため、斉泰や黄子澄らは朱権を応天府に召還しようとしたが、朱権は拒否した。このため、建文帝によって王位を剥奪された。
永楽帝時代は南昌に移された。これは事実上の左遷であり、洪熙帝に改封を求めたが逆に怒りを買ったという。ただし、大寧はモンゴルに近い辺境にあり、南昌への改封は朱権側の要望とする説もある[1]。
1448年に死去した。享年71。
文化人として著作・編纂が多く、著に『通鑑博論』がある。末裔に画家の八大山人(朱耷)を輩出した。
