朴信子
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| 引退 | |
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| 愛称 | 韓国バスケの女王 |
| 박신자 | 韓国語 |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1941年12月26日(83歳) |
| 出身地 |
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| 身長(現役時) | 176cm (5 ft 9 in) |
| キャリア情報 | |
| 高校 | 淑明女子高等学校 |
| 大学 | 淑明女子大学 |
| プロ選手期間 | 1960–1967 |
| ポジション | センター |
| 背番号歴 | 14 |
| 経歴 | |
| 1960–1967 | 商業銀行女子バスケットボール部 |
| 受賞歴 | |
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| FIBA殿堂入り選手 (詳細) | |
朴 信子(パク・シンジャ、韓国語: 박신자、1941年12月26日 - )はソウル市出身のバスケットボール選手。1960年代の韓国女子バスケットボールを世界レベルへと押し上げたセンター。商業銀行女子バスケットボール部と韓国女子代表(1964–1967)の主力として活躍し、背番号14は韓国女子バスケの象徴となった。現役引退後は指導・普及・大会運営にも携わり、1999年に米国の女子バスケットボール殿堂、2020年にFIBA殿堂「選手」部門に選出(いずれもアジア出身者として初とされる)された[要出典]。
朴信子は淑明女子高等学校から淑明女子大学(英文学科)へと進み、在学中から国内トップクラスのセンターとして注目を浴びた。卒業後は商業銀行女子バスケットボール部に入団(1960–1967)。代表・所属を通じて一貫して背番号14をつけ、この番号はやがて彼女の代名詞となった。のちに同じ商業銀行に在籍した兪百万(韓国代表の野球選手)も、朴に倣って14番をつけたと伝えられる。
国際舞台では早くから存在感を示し、1964年の第4回世界女子選手権で得点王およびワールド・ベスト5に選出された。引退を考えるほどの到達点だったが周囲の慰留で現役続行。1965年のアジア選手権(ソウル)では韓国の金メダルに貢献し、1967年のユニバーシアード(東京)では日本を破って優勝、国民的な自負心を高めた。
学究肌でもあり、選手生活のかたわら梨花女子大学大学院(体育学)で学び、結婚後は米国へ渡ってマサチューセッツ州スプリングフィールド・カレッジで体育学を専攻した。夫は在韓米軍の文官スティーヴン・ブラッドナーで、挙式は李天煥(韓国人初の聖公会主教)が司式したことでも知られる。
1967年11月2日には、ソウルの奨忠(チャンチュン)体育館で引退試合が催され、平日にもかかわらず約7,000人の観客が詰めかけた。26歳での早い引退は惜しまれたが、その後は指導・運営で競技発展に寄与。1982–1986年には信用保証基金女子バスケットボール部の創設監督を務め、1983年には韓国女子U-18代表も指導した。1988年ソウル五輪では組織委員会のバスケットボール担当として大会運営・渉外に尽力。1999年には女子バスケットボール殿堂(米テネシー州ノックスビル)に東洋人として初めて顕彰され、同年のWKBL夏季リーグ開幕式で記念シュートを放ち、WKBL新社屋竣工式にも出席した。家族面では1999年8月に末子アンドリュー(イェール大学卒)がハワイで挙式。2015年7月には自身の名を冠した**「朴信子杯サマーリーグ」**の開幕行事(束草体育館)に出席し、姪のパク・ジョンウンとともに入場して開幕記念シュートを披露した。
栄誉としては、上記の米殿堂入りに続き、2020年にはFIBA殿堂「選手」部門にも名を連ねた(アジア国籍初とされる)。現役時代の身長は176cm。欧州の長身選手に囲まれながら、ポジショニング・基本技術・判断力で体格差を覆すプレーが国際的評価を得た。