両江道恵山市にて帰還事業によって帰国した在日朝鮮人の父母のもとに生まれた[2]。金策工業総合大学逓信科無線工学超短波専攻卒。以後、金日成社会主義青年同盟(現・社会主義愛国青年同盟)傘下の速度戦指導局で宣伝指導員として勤務するなどしていたところ、1997年に発生した黄長燁の亡命に影響を受け脱北することを決意した父親に連れられて1999年の夏に脱北した[2]。2000年2月に韓国に定住後はしばらく静かに暮らしていたが、同じ出身地域の脱北者から自らの叔父が拷問死したり、いとこがコッチェビとなり消息不明となったという話を聞き、2003年に北朝鮮政治犯収容所解体運動本部を立ち上げ、2004年には北朝鮮民主化運動本部を経て、2006年に自由北朝鮮運動連合を立ち上げ、現在まで活動している[3]。