杉村寛正
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石川県出身[1]。漢学を学んだ[1]。石川県権参事を経て、金沢で忠告社を組織し、社長となる。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において石川2区から自由党公認で立候補したが落選[2]。翌1891年の補欠選挙で当選した。1892年の第2回衆議院議員総選挙には不出馬。同年10月の補欠選挙で再選。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙で落選[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では自由党から立候補して当選した[4]。1898年の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1916年に死去した。墓所は金沢市長久寺。