李仁矩

五代十国時代の後唐の軍人 From Wikipedia, the free encyclopedia

李 仁矩(り じんく、生年不詳 - 930年)は、五代十国時代後唐軍人

経歴

李嗣源節度使をつとめていたときの客将であった。天成元年(926年)、明宗(李嗣源)が即位すると、仁矩は功労により、内職に抜擢された。また安重誨に引き立てられ、客省使・左衛大将軍に転じた[1][2]

天成4年(929年)、仁矩は使者として梓州に赴くと、剣南東川節度使の董璋が筵を張って仁矩を招こうとしたが、仁矩は館舎に引きこもって、芸妓と飲み明かしてやってこなかった。董璋は恥をかかされて、仁矩を深く恨んだ。10月、仁矩は安重誨の推薦により保寧軍節度使となった。閬州に着任すると、董璋の様子を偵察して、事実を曲げて上奏したことから、董璋が反乱を起こす原因を作った[1][2]

長興元年(930年)9月、董璋が反乱軍を率いて閬州の州城を攻撃した。閬州の軍校たちはみな籠城して撃退するよう主張したが、仁矩は出戦して、まともに交戦することもなく、反乱軍に敗れた。9月20日、州城が陥落すると、仁矩は捕らえられ、一族とともに董璋に殺害された[3][4]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI