李僅

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李 僅(り きん、生年不詳 - 783年)は、皇族。彭王。粛宗の五男[1]

粛宗と陳婕妤のあいだの子として生まれた[2][3]天宝年間、新城郡王に封じられ、鴻臚寺卿同正員に任じられた。至徳2載(757年)12月、彭王に進封された。乾元2年(759年)冬、史思明が再び河洛を攻め落とすと、関東の官軍は動揺し、群臣は親王に名目上の兵権を統べさせるよう請願した。乾元3年(760年)4月、李僅は河西節度大使を領した[4][5]建中4年(783年)、涇原で兵変が起きると、李僅は殺害された。

子の李鎮は太僕寺卿同正員に任じられ、常山郡王に封じられた[6][7]

脚注

伝記資料

参考文献

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