李僴

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李 僴(り かん、生年不詳 - 762年)は、皇族。兗王。粛宗の六男[1]

粛宗と韋妃のあいだの子として生まれた[2][3]。母の兄の韋堅李林甫の誣告により殺害されると、当時皇太子であった粛宗は韋妃を別宮に置いた。李僴は天宝年間に潁川郡王に封じられ、太子詹事同正員に任じられた。至徳2載(757年)12月、兗王に進封された。乾元3年(760年)4月、北庭節度大使を領した。宝応元年(762年)、死去した[4][5]

脚注

伝記資料

参考文献

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