李僴 From Wikipedia, the free encyclopedia 李 僴(り かん、生年不詳 - 762年)は、唐の皇族。兗王。粛宗の六男[1]。 粛宗と韋妃のあいだの子として生まれた[2][3]。母の兄の韋堅が李林甫の誣告により殺害されると、当時皇太子であった粛宗は韋妃を別宮に置いた。李僴は天宝年間に潁川郡王に封じられ、太子詹事同正員に任じられた。至徳2載(757年)12月、兗王に進封された。乾元3年(760年)4月、北庭節度大使を領した。宝応元年(762年)、死去した[4][5]。 脚注 ↑ 旧唐書 1975, p. 3387. ↑ 旧唐書 1975, p. 3382. ↑ 新唐書 1975, p. 3616. ↑ 旧唐書 1975, pp. 3387–3388. ↑ 新唐書 1975, p. 3620. 伝記資料 『旧唐書』巻116 列伝第66 粛宗代宗諸子 『新唐書』巻82 列伝第7 十一宗諸子 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 Related Articles