1949年から1950年までの朝鮮戦争の戦前・戦中に、右翼の準軍事団体の幹部として内南面で少なくとも169人、一説200人以上の良民を共産主義者として虐殺した希代の悪人であった。また、1958年の第4代総選挙の前にも月城甲選挙区内で野党候補に対して多数の登録妨害事件を起こし、不正選挙の疑いもあった[1][5]。
1957年2月、内南面虐殺事件の遺族の海兵隊員は被害者の土地などをめぐり、李を相手に民事訴訟を起こしたが、李は国防部に圧力をかけた結果、被害者遺族は告訴を取り下げた。しかし、四月革命以降の1960年6月16日、遺族75人は李およびその弟を殺人、放火、強盗などの容疑で大邱地方検察庁に告発した。検事の調査の結果、李は76人を殺害した容疑で起訴された。1961年3月6日、一審で死刑を宣告されたが、5・16軍事クーデターが起きると風向きも変わり、二審で無罪を宣告され、1962年6月28日、大法院により無罪が確定された。その後も別の9人を殺害した容疑でまた裁判にかけられたが、こちらも無罪を宣告されたため、李は1963年5月15日に自由となった[5][7]。なお、朴正煕時代に李を告訴した遺族会は北朝鮮への利敵行為を行ったとして、幹部数人はスパイの疑いで有罪判決を受けた。2010年にようやく無罪を宣告された[8]。