李在明 (独立運動家)
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李完用暗殺未遂事件
1909年12月7日、平安南道平壌郡(現:平壌)にあった朴泰殷邸にて内閣総理大臣の地位にあった李完用の殺害を金貞益、李慶三、金泰善、李東秀らと謀議。翌8日、平壌郡陵徳府にある内縁の妻の実家に再集結し、李本人と李東秀と金丙録の3人を暗殺決行者とし、その他の者は各自役目を申し合わせた[4]。
12月17日、李から旅費の支給を受けた李東秀らが漢城に入る。李は同日に崩御したベルギー国王レオポルド2世の追悼式に李完用が参列する情報を掴み、12月22日を暗殺決行日と決めた。22日、漢城府の鍾峴天主教会堂(現:明洞聖堂)での追悼式の後、人力車に乗って帰る李完用を、焼き栗売りに変装した李が襲い、剣で肺や腰に重傷を負わせる。この時、人力車夫のパク・ウォンムンが巻き添えを食い即死した[3]。李は護衛警察の発砲により太股を負傷したのち逮捕された。李完用は大韓医院(現:ソウル大学校病院)に搬送され、院長菊池常三郎による外科手術で一命をとりとめた。なお、李は公判でパクの殺害は偶然であったことを強調した[3]。
1910年、死刑宣告を受け、韓国併合後の翌月である9月30日に京城監獄(現:西大門刑務所)で刑が執行された[1]。22歳没。当事件では、李東洙、趙昌鎬、金貞益など11人の共犯者も投獄された。