李学九
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1920年頃[注釈 1]、咸鏡北道明川郡に生まれる[2]。第2次世界大戦中は国民学校の教師を務めていた[2]。
1946年末、保安幹部第2訓練所第5連隊偵察参謀(大尉)[2]。以後、連隊作戦課長(少佐)や軍事副連隊長(中佐)を歴任し、才能や真面目さ、端麗な風采などを買われ、民族保衛省総参謀部訓練課長に抜擢され、総佐に昇進した[2]。
1950年6月、第2軍団が編成されると同軍団作戦部長[3]。緒戦の春川戦闘の失敗で第13師団(師団長:崔勇進少将)参謀長に降格[4]。
1950年9月20日、師団長と口論になり、拳銃で発砲して負傷させた[5][6][7]。翌21日朝、米第1騎兵師団第8騎兵連隊に投降[8]。日本で尋問を受けたのち、巨済島の捕虜収容所に収容された[1]。帰順者としての待遇を受けられなかったため、やがて親共捕虜の指導者となり、暴動を主導することになった[1]。
ウィリアム・F・ディーン少将と捕虜交換が行われ、北に送還されたが、1963年に自殺。