李巽

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李 巽(り そん、739年 - 809年)は、唐代官僚は令叔。本貫趙州賛皇県[1]

若くして苦学し、明経に挙げられて、華州参軍に任じられた。科挙に及第して、鄠県県尉に任じられた。尚書省の官を歴任して、左司郎中となった。宰相の竇参に憎まれて、常州刺史として出された。長安に召還されて給事中となった。貞元8年(792年)、徳宗の怒りに乗じて、竇参を陥れて殺した[2][3]潭州刺史となり、湖南観察使をつとめた[4]。貞元13年(797年)、江州刺史に転じ、江西観察使をつとめた[5]検校散騎常侍を加えられ、御史大夫を兼ねた[6]

貞元21年(805年)、順宗が即位すると、李巽は入朝して兵部侍郎となった。司徒杜佑が判度支塩鉄転運使となると、李巽は治才を求められて、その下で副使をつとめた。杜佑が重任を辞したので、李巽がもっぱら度支塩鉄使の任をつとめた。塩鉄専売の収益は大暦年間の劉晏のときの利益を越えた。元和2年(807年)、兵部尚書に転じた。元和3年(808年)、度支塩鉄使の任のまま、吏部尚書に転じた。元和4年(809年)4月、死去した。享年は71[7]。尚書左僕射の位を追贈された[8][9][3]

脚注

伝記資料

参考文献

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