李懐遠
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経歴
幼くして父を失い、貧家にあって学問を好んで、文章を作るのを得意とした。四度科挙に応じて及第し、司礼寺少卿に累進した。邢州刺史として出されたが、郷里の州であることから、固辞して就任しなかった。冀州刺史に転じた。まもなく揚州・益州の大都督府長史に相次いで任じられたが、赴任しないうちに、同州刺史に転じた。清廉簡素な統治で知られた。入朝して太子左庶子となり、太子賓客を兼ね、右散騎常侍・春官侍郎を歴任した。大足元年(701年)、鸞台侍郎に転じた[2][1]。2月、同鳳閣鸞台平章事(宰相)となった。7月、宰相から退任し、銀青光禄大夫の位を加えられ、秋官尚書に任じられた[3][4]。検校太子左庶子を兼ね、平郷県男の爵位を受けた。長安4年(704年)、老齢のため辞職を求め、秋官尚書の解任を許され、太子左庶子に任じられた。ほどなく太子賓客となった。神龍元年(705年)、左散騎常侍・兵部尚書・同中書門下三品(宰相)に任じられ、金紫光禄大夫の位を加えられ、趙郡公に進封した[2][1]。神龍2年(706年)4月、病のため致仕を請願し、許可された[5][6]。中宗が長安に行幸すると、7月、懐遠は左散騎常侍・同中書門下三品となり、知東都留守をつとめた[7][6]。