李暹 From Wikipedia, the free encyclopedia 李 暹(り せん、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の武将。董卓の部将李傕の甥(兄の子)。同じく李傕の兄の子の李利とは兄弟とも従兄弟とも考えられる。 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。 正史の事跡 さらに見る 姓名, 時代 ... 姓名 李暹 時代 後漢時代 生没年 〔不詳〕 字・別号 〔不詳〕 本貫・出身地等 涼州北地郡泥陽県(現在の甘粛省慶陽市寧県) 職官 〔不詳〕 爵位・号等 - 陣営・所属等 李傕 家族・一族 叔父:李傕兄弟:李利〔従兄弟?〕従弟:李式(李傕の子)、胡封(おばの子)従叔父:李応〔李傕の従弟〕 閉じる 興平2年(195年)4月、李傕は、郭汜が献帝を手中にしようとしているのを知り、李暹を派遣して自らの陣営に迎え入れさせた。この際に、宮殿からの献帝の移動に太尉楊彪が異論を唱えたが、李暹は一切気に留めることなく、献帝を御車に乗せて李傕の陣に護送した。この件を最後に、李暹は史書から姿を消す。 物語中の李暹 小説『三国志演義』でも、史実とほぼ同様の行動をしている。しかし曹操が献帝を保護すると、李別(李利の『演義』での名)と共に李傕軍の先頭に立って献帝を奪い返そうとしたが、曹操の部将・許褚に、李別もろとも一刀の下に斬り捨てられている。 参考文献 『後漢書』列伝62董卓伝 同本紀9孝献帝紀 『三国志』魏書6付・李傕郭汜伝 『三国演義』 Related Articles