李最応 From Wikipedia, the free encyclopedia 李 最応(イ・チェウン、이최응、1815年3月27日 - 1882年7月24日)は、李氏朝鮮の王族で興宣大院君の兄。称号は興寅君。字は良伯、号は山響。諡号は文忠。 諱号 最応字号 良伯山響諡号 文忠出生年 嘉慶20年2月17日(1815年3月27日)概要 興寅君, 諱号 ...興寅君 宗親世 左議政領議政諱号 最応字号 良伯山響諡号 文忠出生年 嘉慶20年2月17日(1815年3月27日)没死年 光緖8年6月10日(1882年7月24日)テンプレートを表示閉じる 大院君政権では要職に就くことはなかったが、1873年に大院君の失脚で閔氏政権に登用され、1874年に左議政、翌年には領議政になった。 1880年に統理機務衙門が設置されると、その総理大臣となった[1]。1882年の壬午事変の際に自宅を襲撃され殺害された。 参考文献 朝鮮総督府中枢院編『朝鮮人名辞書』1996頁。 脚注 [1]『高宗実録』高宗18年2月7日条。 この項目は、朝鮮の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:朝鮮/P:歴史/PJアジア/PJ歴史)。表示編集 Related Articles