李茂勲 From Wikipedia, the free encyclopedia 李 茂勲(り ぼうくん、生没年不詳)は、唐代の軍人。盧龍軍節度使。鉄勒同羅部の阿布思の末裔にあたる[1][2]。 盧龍軍節度使の張仲武が回鶻を破ると、茂勲は同羅部の侯王とともに唐に降った。茂勲は騎射を得意とし、その性格は沈着かつ剛毅であり、張仲武に器量を認められた。つねに辺境開拓に派遣され、功により郡王に封じられ、姓名を賜った[3][2]。 乾符2年(875年)、茂勲は盧龍軍の宿将の陳貢言を謀殺した。さらに節度使の張公素を追放して留後を自称した[4][5]。朝廷に盧龍軍節度使として追認された。乾符3年(876年)、子の李可挙を節度留後とした[4][2][6]。乾符4年(877年)、尚書左僕射として致仕した[7]。 脚注 ↑ 旧唐書 1975, p. 4680. 1 2 3 新唐書 1975, p. 5983. ↑ 旧唐書 1975, pp. 4680–4681. 1 2 旧唐書 1975, p. 4681. ↑ 新唐書 1975, p. 265. ↑ 新唐書 1975, p. 266. ↑ 旧唐書 1975, p. 700. 伝記資料 『旧唐書』巻180 列伝第130 『新唐書』巻212 列伝第137 参考文献 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。 典拠管理データベース 全般 VIAF 国立図書館 オランダ Related Articles