李茂勲

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李 茂勲(り ぼうくん、生没年不詳)は、唐代軍人盧龍軍節度使鉄勒同羅部の阿布思の末裔にあたる[1][2]

盧龍軍節度使の張仲武回鶻を破ると、茂勲は同羅部の侯王とともに唐に降った。茂勲は騎射を得意とし、その性格は沈着かつ剛毅であり、張仲武に器量を認められた。つねに辺境開拓に派遣され、功により郡王に封じられ、姓名を賜った[3][2]

乾符2年(875年)、茂勲は盧龍軍の宿将の陳貢言を謀殺した。さらに節度使の張公素を追放して留後を自称した[4][5]。朝廷に盧龍軍節度使として追認された。乾符3年(876年)、子の李可挙を節度留後とした[4][2][6]。乾符4年(877年)、尚書左僕射として致仕した[7]

脚注

伝記資料

参考文献

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