李鶴来
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1925年、韓国全羅南道宝城郡生まれ。17歳のとき、日本軍軍属である捕虜監視員の募集に応じ、タイで泰緬鉄道建設のため使役された捕虜の監視にあたる。戦後、シンガポールで連合国が開いたBC級戦犯裁判で「日本人戦犯」として死刑判決を受けた。のち20年に減刑。減刑後、東京に移され、1956年に仮釈放された[1]。
戦犯仲間らでつくったタクシー会社を都内で経営。「日本人」として罪を負わされ、援護と補償は「外国人」として一切切り捨てられたことから、1955年、同じ境遇の韓国・朝鮮人元BC級戦犯者とともに「同進会」を結成。以降一貫して日本政府の謝罪と補償を求め、闘い続けた[2]。日本政府に補償や謝罪を求めて訴訟を起こしたが、1999年、最高裁で敗訴が確定。その後も名誉回復や救済を求める活動を続けていた[3]。
韓国政府は2006年、「日本の協力者」としてきた李らBC級戦犯を「植民地支配の被害者」と認め、名誉回復した。
2021年3月24日に自宅内で転倒して頭を打ち、足を骨折。病院に緊急搬送されていた。28日、外傷性くも膜下出血のため東京都内で死去した。96歳だった[1][4]。