村上敬次郎
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1853年広島藩士堀尾笑石の二男として生まれ、のち広島藩家老東城浅野家の用人、村上邦裕の養子となる。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)にて洋学を学び、1866年藩命にて渡正元ら洋学生50名と江戸に遊学。このとき引率したのが山田十竹、伴資健[2]。1871年海軍兵学寮の留学生として海軍伝習のためイギリスに留学。1874年に帰国し、広島英語学校教員となる。1876年海軍省入省、その後海軍少書記官、軍大臣秘書官、呉鎮守府監督部長、海軍省経理局長を務めた後、1897年主計総監となり、1909年予備役に編入。1904年の日露戦争では大本営海軍経理部長として従軍した。1907年日露戦争、海軍関連法律整備の功により男爵。1909年12月21日、勅選により貴族院議員[3][4][5]となり、研究会に所属し[1]、1926年6月7日まで在任[6]。1906年勲一等旭日大綬章受章。
