「東洋のポンペイ」と呼ばれる草戸千軒遺跡の発掘に尽力した。個人的な調査と資料をもとに草戸千軒集落の発掘と保存を粘り強く行政に訴えつづけ、1961年に福山市が行った発掘調査に続き、1973年に広島県により調査所が、1976年調査研究所を発足させるに至った。これ以降、1990年までに行われた全面的な調査と研究が継続され、草戸千軒遺跡の全貌が明らかになり、広島県立歴史博物館の創設をもたらすことにもなった。
また、姫谷焼について、日本陶磁協会誌『陶説』を場として、当時まだ地方窯(じかたよう)としか見られていなかった色絵姫谷焼の貴重性を広く世に広めた。