村山元英
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東京都出身。中央大学商学部卒、シートン・ホール大学大学院修士課程修了[2]、1975年「Comparative Management(比較経営論) 日本・アジア的視座の展開」で中大商学博士。
プライスウォーターハウスクーパースでの勤務の後、シートン・ホール大で教鞭をとり、帰国後に上智大学講師・中央大学助教授・千葉大学法経学部助教授・同大教授。2000年定年退官となり名誉教授、翌年から2008年まで中京大学教授を務めた。専門は国際経営学[2][3]。
成田空港問題についての研究も行い、1982年に芝山町で第1回「ハニワ祭り」(現・芝山はにわ祭)の開催に携わっている[4]。1990年に有志らと発足させた「地域振興連絡協議会」(地連協)で初代会長を務め、反対同盟(熱田派)と国側の対話のきっかけを作った。しかし、1995年10月24日に話し合いの動きに反対する中核派による放火を受け、自宅が半焼している[5]。このとき村山は読売新聞の取材に対し「ついにやられたという感じだ。しかし、地域のみなさんが集まり、焼け跡の後始末を手伝ってくれた」と語った[2][6]。
妻はアメリカ人で元麗沢大学教授、長男は、駒澤大学教授、長女はイギリス在住で大学講師、次女は、米国在住で教師、三女は芸術学者で玉川大学准教授村山になである[6]。
詳しい略歴は https://www.seattle.us.emb-japan.go.jp/japanese/culture/2009/kabuki_murayama%20.pdf