当初、産経新聞を早期退職して「買いためた本を読もうと考えていた」が、府教育委員会の民間人校長募集を知り、挑戦したという[3]。
理由として「自分を育ててくれた府立高校にOBとして特別な思い」があり、「(母校の高津)高校が大好きだった。先生は熱心に教えてくれたし、一生懸命学べば、夢はかなえられると思っていたから」と産経新聞の取材に語っている[3]。
また、学校の在り方について「生徒が夢をかなえるための出発点」と捉えており、「不登校や中退、学力などの問題が山積し、地域や家庭の状況も(自分が高校生だった)40年前とは違うだろうが、一生懸命やれば夢はかなうという理想は大事にしたい」として、東住吉高校での教育に「私は哲学が好きなので、哲学を取り入れられたら」。その理由として、「子供に『生きることとは何か』を考えさせるのは大事だし、子供にそのための力を授けて励ますのが教育だと思う。実際にできるか先生方に相談しますが」としていた[3]。