村田正志
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1904年、父の任地茨城県下妻で生れた。三重県富田中学校(現・三重県立四日市高等学校)で学び、1924年3月に卒業。同年4月、國學院大學予科に入学した。
1929年3月に國學院大學史学科を卒業後、同年4月に東京帝国大学史料編纂所嘱託として入所。史料編纂所では『大日本史料』第6編・第7編の編纂に従事した。1942年に史料編纂官補に昇任。1951年、学位論文『南朝歴代天皇御事蹟の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得[1]。
1930年代に南北両朝の取扱について、史学界内外から圧力が起こり、『大日本史料』第6編29は、1939年以降から1951年まで刊行が中断された[2]。1939年3月、村田は当時の同史料編纂所所長龍粛の求めに応じて「大日本史料第六編編纂体裁改変に関する私見」を提出し、史実に基づいて両朝を併立させて取扱うことが具申された。第6編刊行の一時中断は村田の意見を尊重した結果であった。第6編の出版再開後も第六編室長としてその完成に向けて尽力した。
- 戦後
1954年の制度改正によって東京大学助教授となった。1965年3月に東京大学を定年により退官。1966年4月からは国士舘大学文学部教授として教鞭を執った。国士舘大学定年退職後も1982年4月から1986年3月まで同大学客員教授であった。その間、1946年から1986年まで國學院大學文学部史学科兼任講師として古文書学を講じ、1955年から1966年まで東京薬科大学兼任講師を勤めた。その他にも、文化財専門調査会古文書部会長として古文書・古記録の保護に貢献した。2009年、肺炎により逝去、享年104[3]。
受賞・栄典
- 勲三等瑞宝章を受章。