長嶋茂雄と難波昭二郎の2人のことである[1]。
この2人は1950年代の大学野球で日本中を盛り上げていた[2]。
同期に巨人に入団して、双方とも4番サードであったという2人である[3]。
当初の巨人は長嶋を狙っていなかった。1957年11月5日に難波の巨人入団が発表されたのだが、その同日に長嶋は大学の合宿所で巨人に行くことにしていた。そして長嶋は巨人に入団しないはずであったのだが、巨人に入団した[4]。
難波は中日への入団が内定していた。だが長嶋は南海に入団すると見られたために、巨人は長嶋ではなく難波を入団させることにしていたのであった。それから巨人は難波に中日に行ってもいいとしていたが、三塁以外を守らせることも考えて難波を入団させた[5]。
巨人に入団してからの長嶋と難波は年がら年中共に行動していた。今日はどこに行くかまでも一緒であった。長嶋の連続フルイニング出場が途絶えたのは、長嶋が難波に交代していたからであった[6]。