東バライ
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
西暦900年頃、クメール王ヤショーヴァルマン1世の治世に造られた[1]。およそ東西7,150メートル、南北1,740メートルにおよぶアンコール地域で2番目に大きいバライであり、プノン・クーレンから流れるシェムリアップ川によって供給された約5,000万立方メートルの水を保持していた。雨季には6,000万立方メートル、乾期にも3,600万立方メートルの貯水量があったとされる[2]。貯水池としての表面積は1,210ヘクタールにおよび、面積は先王インドラヴァルマン1世が築いた「インドラタターカ」(「インドラヴァルマンの池」の意[3])の約4倍[2]であり、その堤防の建設には、約800万立方メートルの盛り土が必要とされた。
バライの建設を示す銘石碑が4つ全ての角で見つかっている。東バライは初期には、その築造者であるヤショーヴァルマン1世にちなんで「ヤショダラタターカ(「ヤショーヴァルマン王の池」の意)」と呼ばれていた[2]。
バライの中心には高所に置かれた寺院東メボンがあり、東バライが水を湛えていた時代には島であった。今日の東バライは水を湛えておらず、その底面は農業従事者によって刈り耕されている。しかし、その遺構の輪郭は衛星写真においてはっきりと見える。
