東ヤジロー・キタハチ
From Wikipedia, the free encyclopedia
昭和一桁代から香島ラッキー・御園セブンのライバル的存在として東京漫才として活躍。リーガル千太・万吉、内海突破・並木一路、波多野栄一・浪花マンマルと共に「東京漫才四天王」として数えられ、戦前における東京漫才のリーダー的存在だったにもかかわらず、その素性がよくわかっていない謎に包まれたコンビである。
1935年喜劇の一座でヤジローとキタハチが出会い、「ゴールデン・バット」というコンビで漫才師に。のち東喜代駒の門下となり「東ヤジロー・キタハチ」となり、松竹芸能とキングレコードの専属となる。エンタツ・アチャコと並び称される人気となる。
キタハチは初代から3代までいた。NHKのラジオ中継で人気を経たが東京の寄席には出演せず、一座を編成しての地方巡業が主であった。
のちにキタハチが戦争で召集され一時コンビ解消、戦後まもなくシベリア抑留から復員したが心臓病で死去。キタハチはそれから2代目、3代目と代を重ねたが、徐々に人気も落ち、1953年ヤジローが脳溢血で倒れ、コンビは解散した。
都上英二・東喜美江、大空ヒット・三空ますみ、Wけんじ、源氏太郎は兄弟弟子。弟子にはパン猪狩がおり、弟であったショパン猪狩の面倒も見ていた。
SPレコード、台本速記が残っている。また戦後映画に出演したため映像が現存する。