東ヶ崎潔
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アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身[3]。東ヶ崎菊松・茂の長男として生まれる[3]。1920年(大正9年)カリフォルニア大学商学部卒業後、同年カリフォルニア州共同消費会社に勤務[3]。1925年(大正14年)副社長に就任[3]。1933年(昭和8年)日本に帰国[3]。1935年(昭和10年)3月日本経済聯盟会(現:日本経済団体連合会)より米国経済使節団、同年5月日米協会より米国庭園協会日本視察団の各応接業務を委嘱される[5]。
1936年(昭和11年)第7回世界教育会議日本事務局嘱託を務め、1941年(昭和16年)日本タイムス社(現:ジャパンタイムス)編集局長となり、監査役、取締役を歴任[3]。その後、1946年(昭和21年)代表取締役、1956年(昭和31年)会長、1958年(昭和34年)相談役に就任[3]。その間、1949年(昭和24年)国際基督教大学初代理事長、1954年(昭和39年)名誉理事長、富士海外旅行社長に就任[3]。
1963年(昭和38年)国際ロータリー理事、1965年(昭和40年)日米協会副会長に選任され、1966年(昭和41年)デンバーにて第57回国際ロータリー年次大会大会委員長に任命され、1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)まで国際ロータリー会長(日本人初)を務める[3][6]。その傍ら、ジャパンビジネスカウンセル会長、聖路加国際病院理事、日本聖書協会理事、国際教育振興会理事を歴任[3]。
なお、1954年(昭和27年)コーネル大学と国際基督教大学から文学博士を、1965年(昭和40年)ラバーン大学とパシフィック大学から法学博士の称号を受ける。
1955年(昭和30年)10月、フリーメイソンの最高会議にて最高職位である第33階に任ぜられた[4]。
1960年(昭和35年)フリーメイソンの日本グランドロッジの日本グランドマスターとなった。