東京アンタッチャブル
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三田佳子
渡辺美佐子
筑波久子
須藤健
織本順吉
滝川潤
潮健児
伊沢一郎
愛川かおる
小笠原慶子
滝謙太郎
北山達也
関山耕司
曽根秀介
志摩栄
岡野耕作
相原昇三郎
山田甲一
浜田格
菅原壮男
植田定光
豊野弥八郎
相馬剛三
丹波哲郎
三國連太郎[1][2]
| 東京アンタッチャブル | |
|---|---|
| Tokyo Untouchble | |
| 監督 | 村山新治 |
| 脚本 | 長谷川公之 |
| 出演者 |
高倉健 三田佳子 渡辺美佐子 筑波久子 須藤健 織本順吉 滝川潤 潮健児 伊沢一郎 愛川かおる 小笠原慶子 滝謙太郎 北山達也 関山耕司 曽根秀介 志摩栄 岡野耕作 相原昇三郎 山田甲一 浜田格 菅原壮男 植田定光 豊野弥八郎 相馬剛三 丹波哲郎 三國連太郎[1][2] |
| 音楽 | 池田正義 |
| 撮影 | 仲沢半次郎 |
| 編集 | 田中修 |
| 製作会社 | 東映東京撮影所 |
| 配給 | 東映 |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 93分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 次作 | 東京アンタッチャブル 脱走 |
「東京アンタッチャブル」(とうきょうアンタッチャブル)は、1962年10月21日に東映系で公開された日本映画[1][2]。93分。モノクロ。シネマスコープ。映倫番号:12962
『東京アンタッチャブル』シリーズの第1作。
スタッフ
出演者
製作
本作は原田芳夫(高倉健)と西山直人(三國連太郎)の刑事二人が、川本五郎(丹波哲郎)率いるギャング団を追い詰める内容で、刑事目線の映画ではあるが、当時の東映東京撮影所(以下、東映東京)所長・岡田茂が、1962年4月22日公開の『太平洋のGメン』以降に敷いた「東映ギャング路線」の一本である[3][4][5]。岡田は東映社内報1962年10月号の「興行作品に徹すべし!ギャング路線誕生の経緯」で、「まず対内的(宣伝部)にPRの行き届くものを作らんことにはどうにもならないと痛感しまして、小手調べにゴールデンウィークのしょっぱなに出す作品として『太平洋のGメン』を企画しました(中略)この『太平洋のGメン』が当時としてはヒットした。興行的にも良かったし、また内部の評判も良かった。この時からこういった企画を推し進めることが一番いいんじゃないか、一つ大きな路線を見出そうじゃないかと思ったわけです(中略)その本流となるものは何か……。まずアクションものを目がけてやろう、ただ日活のマネをしてもダメだと、ウチ独特のものというと大人っぽいアクションだ、大人っぽいアクションというとギャングだ、ギャングに限る。ウチの現代劇には片岡御大の堂々たるアクションものがあるんだから、これを母体にして、鶴田、高倉、丹波その他のメンバーで、絶対的に面白いアクションもの、ギャングものができるという確信を持ってギャング路線を見出したというわけです(中略)7月の盆に封切った『ギャング対ギャング』。これはまあ、出来ばえは必ずもそうビックリするようなものじゃなかったけど対内的にも非常に評判が良かったし、興行的にもいい結果が出た。これにますます勢いを得て、8月には片岡御大以下の『地獄の裁きは俺がする』、それから『暗黒街最後の日』。これは若手のオールスターで作りましたが、作品の出来ばえも良く、非常にヒットした。それから『東京アンタッチャブル』『ギャング対Gメン』、これらも非常に良い出来ばえで、面白いものになっている」などと述べている[3]。
1962年8月7日に行われた東映全国支社長会議では、1962年9月以降の番組編成が告知され[6]、本作の仮タイトルは『にっぽんGメン』だった[6]。またこの時点では監督は村山新治と公表されたが、出演者の告知はなかった[6]。また併映は『恋と十手と巾着切』(井沢雅彦監督・山城新伍・中里阿津子主演)か『世界のオートバイ選手権』で、1962年10月21日~27日までの7日間の興行と告知されていた[6][注 1]。同年9月7~8日に東映本社会議室であった10月以降の番組編成では、興行期間が1日減り、1962年10月21日~26日までの6日間の興行に変更され[8]、併映は『髑髏銭』と発表されている[8]。
撮影
備考
同時上映
ネット配信
- 東映シアターオンライン(YouTube):2023年3月17日16:00 - 3月24日23:59