東京・神田三崎町出身[1]。
宮中の雅楽を伝える家である、東儀家に生まれる[2]。
宮内省雅楽部をへて東京音楽学校(現東京芸術大学)でユンケルにヴァイオリンを学んだ。
卒業後は母校の教師となる[3]。1915年(大正4年)東京フィルハーモニー会管弦楽団のコンサートマスターに就任した[4]。1921年(大正10年)宝塚音楽歌劇学校の指揮者となり、作曲、編曲にあたり、またオーケストラ編成の充実につとめた[3]。
1938年4月に行われた第6回日本音楽コンクールなどの審査員も務めている[5]。
1952年(昭和27年)4月20日死去[3]。68歳没[3]。