東園基雅
江戸時代前期から中期の公卿。正二位・権大納言。東園家4代
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経歴
東園基量の子として誕生。母は高倉永敦[1]の娘。初名は基茂。
延宝7年(1679年)に叙爵。元禄2年(1689年)に従四位下・左近衛少将に進んだ際に基長と改名した。その後左近衛中将・蔵人頭を経て、元禄13年(1700年)に参議となり公卿に列する。踏歌節会外弁、権中納言などを経て、享保4年(1719年)には権大納言に就任した。享保8年(1723年)まで同職に在職している。その間に正二位に昇っている。享保11年(1726年)に基雅に改名した。
享保13年(1728年)、薨去。享年54。日記『東園基長卿記』を今日に残す。元禄14年(1701年)に起こった赤穂事件で浅野長矩が切腹のうえ改易されることについて「不便々々(ふびんふびん)」と記している。