島根県出身[1][2]。1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[1][2]。1902年(明治35年)陸軍大学校第16期卒業[1][2]。
満州軍総司令部参謀として日露戦争に従軍する[1][2]。
1912年(明治45年)6月に弘前連隊区司令官、1914年(大正3年)5月に陸軍歩兵大佐、同年8月に歩兵第12連隊長、1916年(大正5年)4月に第18師団参謀長を経て、1918年(大正7年)7月に陸軍少将・歩兵第37旅団長に任官[1][2]。1920年(大正9年)間島事件が勃発すると10月に旅団長として出動し、同年12月に帰還する[1][2]。
翌年の1921年(大正10年)7月に待命、同年11月に予備役に編入した[1][2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。