東海湖 (かつて存在した湖)

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東海湖(とうかいこ)、東海湖堆積盆地[1](とうかいたいせきぼんち)は、東海地方(東海3県)伊勢湾から濃尾平野にかけて新第三紀中新世末から第四紀更新世前期(約700 - 70万年前[2])に場所を変えながら存在した、東海層群を形成する堆積盆[3]東海堆積盆[4]東海湖盆[5]東海堆積盆地[6]ともいう。大阪層群を溜めた大阪堆積盆地、古琵琶湖層群を溜めた古琵琶湖堆積盆地とともに、第二瀬戸内海形成期の堆積盆地の一つである。

650万年前には存在し、500 - 300万年ほど前にもっとも面積が大きくなった。しかし地殻変動の影響を受け徐々に縮小し、現在では消滅してしまっている[7]

現在の伊勢湾から名古屋にかけて、移動しながら広大な淡水湖として存在し、面積は最大で琵琶湖の6倍にもなった[8]というように、「東海湖」という名称もあり、広大な水をたたえた湖面であったとのイメージが流布しているが、そうであった可能性は小さくなっている。

岐阜県多治見市土岐市愛知県瀬戸市常滑市では良質な陶器の製造が盛んであるが、そこでは東海堆積盆となった場所に堆積していた粘土が原料として使われている。

歴史

東海層群

東海湖堆積盆地には、新第三紀中新世末から第四紀更新世前期の淡水成層である東海層群(とうかいそうぐん) が堆積した[9]

東海層群の堆積は、知多半島の南部で約700万年前から始まり[10]、その後、鮮新世前半 (約500 - 350万年前) には、堆積域の中心が北西に移るとともに北東と南西に拡大する(東海層群下部の形成)。鮮新世後半(約350 - 250万年前)になると中心はさらに北西側に移り、北東から南西に広がる堆積域は東濃地域 - 濃尾平野 - 伊勢地方中・北部を占めた(東海層群中部の形成)。この時期に堆積盆地の範囲は最も広がったと推定される。更新世前期頃[注釈 1](約250 - 150万年前)からは南部と東部から干上がり堆積盆地の範囲は縮小していくとともに、堆積の場はさらに北西に移動し、堆積盆地の伸長軸は北-南方向に転換する(東海層群上部の形成)。縮小はさらに続き、更新世中期の初頭(約150 - 70万年前)に北勢地域を最後に消滅する(東海層群最上部の形成)[11]。 堆積の期間を通じて、東海層群は河・湖成層により形成され海が入ってきた痕跡は見られない[5]。堆積相の解析により沼沢地が点在する氾濫原が推定され、水をたたえた広大な湖であった可能性は小さくなっている[11]

伊勢湾

濃尾平野にあたる場所では130 - 120万年前頃、堆積盆地が消滅する[12]。その後侵食を受けたのち、約90万年前から濃尾傾動運動による沈降が活発化し[13]、約70万年前からは濃尾平野まで海が進入するようになり[14]、以降氷期間氷期のサイクルにより砂礫層と海成層の互層が堆積した。この過程で約12万年前の最終間氷期に海成層である熱田層が堆積し、その後段丘化し名古屋台地が形成された[15]最終氷期には渥美半島付近まで海退し、神島の間にある伊良湖水道が河川の浸食により出来たとされる[15]。再び海進(縄文海進)が起こり、干潟(年魚市潟)が形成され、その後堆積作用により海岸線が後退し、歴史時代干拓埋立等を経て現在のような海岸線となる。

陶土層

瀬戸物の語源となった瀬戸常滑常滑焼)、多治見土岐美濃焼)などの陶器の原料となる粘土を産出する「陶土層」(瀬戸陶土層、土岐口陶土層)は東海層群の最下部に含めることもあるが[16]、挟まれる火山灰層の年代が約1000万年前(中新世後期)より古く、東海湖堆積盆地が形成される前の小規模な堆積盆地に溜まったものである[17][18]

脚注

参考文献

関連項目

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